ジーンズリメイクCoCoschKaの言語学
2008-11-30T15:09:22+09:00
CoCoschKa
勝手に作ったオリジナルブランド「CoCoschKa」(ココシュカ)についてのあれこれ
Excite Blog
過去になること
http://cocoschka.exblog.jp/7700192/
2008-11-30T14:27:00+09:00
2008-11-30T15:09:22+09:00
2008-11-30T14:28:32+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
書くという行為を欠かせない。 外出するときは必ずノートとペンを持っている。
度々書いているけど、日記ももう十年以上続けているし、
このブログも初めてもうすぐ五年が経とうとしている。
最近になって気づいたのやけど、書くということは俺にとってトイレ
に似ているみたいである。
何か頭のなかにうじゃうじゃとあることを人に言うような事でないことは
個人的なノートに、整理して人に伝える練習をしていたい事はブログに
書くとスッキリする。
そしてわすれる(笑)
書くことが重要なので、あまり見返すという事をいままでしなかったのやけど
先日、部屋を片付けていて昔からの日記のタバをたまたま見返すと面白かった。
なにが面白いのかというとそこに書いてあることが全部、過去だからである。
もう字自体が今とちがうし、文章の展開も今と違う。
痛手を負った失恋の話とか、その時、ニッチもサッチもいかない悩みごとの数々
がもろとも今の俺からみたら他人事である。
もちろんその時のことは覚えている。
その時にもう今後、十年二十年その状態から抜けられないような気持ちで書いて
いたことも覚えているけれども実際、今はそうじゃない。
今はそんなことで毛ほども悩んでいない。
大事な事はここであろうかと思う。
書いて残してきて始めてリアルに実感出来ることだが、人は変わる。
細胞なら半年で入れ替わると言われているが、同じように「自分」という精神
の形も刻々と変化している。
だからほんの半年前に一日中、頭の中をめぐって気持ちを重苦しいもの
にしていたことも見事にいまは他人事である。
こういう事に明確に気づいて、日常に活かし始めたのは社会人になってから
であった。
営業の仕事をしていたので、数字やスケジュールのことでどうしようもなく
追い詰められることが日常茶飯事であった。
上司にもこっぴどく怒られることも同様であった。
そんな時は営業中に喫茶店に入って、自分の中にある悩みをとにかく書きなぐった、
多い時はノートに4ページぐらい書いていた。
そしてそういう時、今取り組むべき目の前のことから逃げ出したくて仕方がないの
やけど、それでもやらねばならない時、おまじないのように唱えていた言葉がある。
「全部、過去になる。」
どんな困難や苦難なことも、しかるべき事をやって煮え湯を飲めば、喉元を過ぎて
過去になってしまう、
いけないのは煮え湯を飲まないことである。
飲めば勝とうが負けようが「次」がくる。
飲まなければ過去は未来を侵食して「次」はやってこない。
話を戻すと、書くということは覚悟を決めるため、そこまでいかなくても
日常生活において自分がやるべきこと、やらないで良いこと、捨てるべきこと
それを明確にする作業である。
だから毎日続ける。
続けなければ何かがブレる。
クオリティの問題ではない。俺は書くことを優先している。
だからもう日記のほうは文脈もくそもない、文章になっていない。
でもそれはこのブログも実は然り。
完成していなくても、未熟ではあっても人に見せる形にする、
そんなブログですここは。
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夢のような話
http://cocoschka.exblog.jp/7700032/
2008-11-30T12:56:00+09:00
2008-11-30T13:18:39+09:00
2008-11-30T12:57:29+09:00
CoCoschKa
未分類
パソコンを使いはじめたのはちょうど10年前、友達のPC
に詳しいやつに教えてもらったのがきっかけで使い始めた。
その時に使っていたパソコンはPC98のHDが1.2G、メモリ16Mという
代物だった。
その時にその友達はHDが2Gのやつを使っていて「お前のやついいなぁ」
という話からHDの話になった。
俺:「将来、もしかしたら100GのHDなんかも出来てくるんやろうか?」
そいつ:「いや、俺もそうならないかな?と思って計算したことがあるんやけど
今のHDを作ってる理論やったらそれぐらいの容量のやつ作るためには
俺らの中学校の校庭ぐらいの面積が必要になってくるんやわ~
まぁ何十年か後にはそういうことももしかしたらあるかも。
でも夢みたいな話やよな~。」
十数年後の結果はみてのとおりである。
今は100Gとかの話ではない、1テラでも数万で手に入る。
俺が持ってたPCのHDの容量なんてフラッシュメモリにも抜かれる始末である。
でも今、この状況を十年前に戻って、その道の専門家の人に伝えたら
「君、バカいっちゃいかんよ(笑)寝言は寝て言いなさい。」
といわれるに決まっているのである。
結局、何がいいたいのかと言うとこれから先のことは本当にわからないな
ということである。
良く「十年後を見据えて行動しなさい。」なんていわれるが今から十年後は
十年前から今までの変化の比ではないように思える。
それはどんな人でも肌感覚で感じていると思う。
そんな中、疑ったほうがいいのは当然と常識ではないかと思っている。
十年前の「夢」はすでに数年後に「常識」になっていた。
別にそこにびっくりし続けている人はいないし、ちょっと驚いて
「まぁこんなもんかな?」
というの普通であると思う。
しかし考えれば考えるほどこの変化の「差」はとてつもないし、すこし前から
すれば「予想外」である。
現在からは予想外のことの塊で構成される将来の事はもう俺にはわからない
から実際、半ばさじを投げている。
多分、神様もしらないんじゃないかと思っている。
そんなことををずっと考えて来ていたら興味の対象が古い物、昔から変化の無いもの
になっていった。
自然、人の身体等、哲学や宗教なら時代の淘汰をくぐりぬけた古い智慧
そういうものの教えを得て微力ながらも乗り切らなしゃあない。
ずっとそう思っている。
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蛾をすてる
http://cocoschka.exblog.jp/7696929/
2008-11-29T06:38:00+09:00
2008-11-29T06:30:18+09:00
2008-11-29T06:25:12+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
写真を撮って・・・・という話になったのだが
一体、どうすればいい料理の写真が撮れるんだ??
ということで俺は滅茶苦茶考えていた。
写真というのは顔であるからチョットいい写真とか
雰囲気あるっぽい写真ではその本質を伝える役割は担えない。
「う~む一体どうすればええねん??
今のままの俺ではでけん・・・・・
そんな事を写真を撮る店のご飯を食べながら頭を抱えて
考えていると、目の前にひらひらと二センチぐらいの蛾が飛んでいた。
掃除にかけては普通の店の十倍ぐらいこだわりのあるその店内で
蛾が飛んでいる状況を
「珍しいこともあるものだな・・・・・」
と思ってながめていると、あろうことかそいつは俺の味噌汁にポチャってしまった。
味噌汁に蛾が入ったぐらいでひるむ俺ではないが、当然すぐに蛾を取り出した。
一瞬、殺そうかな?と思ったけど可哀相なので店の外に逃がすことにして
さぁ蛾も捨てたことやし、もっかい食べよ。」
と一人事をつぶやいて食事に戻った瞬間思う事があった。
「ん?もしかして蛾(我)を捨てろってことなのか?」
とふと思ったが、漠然すぎて分からない。
ただ、俺は一瞬、「殺そう」と思ったが「捨てた」ことに何かあるような気がした。
そして今日、さる神社にいるおかんの知り合いに会う機会があった。
といってもその人がどうという訳ではない、おかんはその人に相談事があったのだが
別に俺の方は無い、ただなんとなくついて行くことになった。
そこに行くと先客が来ていて俺とおかんは待っていたのやけど、その時に
急に「ちょっと誰か虫が大丈夫な人来てください!」とその人が言っていたので
当然、大丈夫な俺が行ってみると何故かコタツ布団の裏側にでかい蛾がついていた。
なんなく捕まえると捕まえたと同時にその人が言った。
「殺さないで捨てて下さい。」
神社の人だから殺生を嫌ってそういったのやろうけど、俺はその時
「あ、またこれか。」とちょっと前のことを思い出した。
まぁどっちも無いとは言わないがまぁまぁ珍しい状況である。
ただ俺は偶然だろうが、なんだろうがなんとなく
「我を殺さず捨てる。」
というフレーズが非常に気になってしまったのである。
殺すと捨てるは似ているが確かに何か違う。
その差異はいまのところ俺にはわからないけれど
そこに何か物事の本質の妙(みょう)がある気がした。
無理に理屈をこねて分かった気になる気は無い、ただそれが
自分にスッと入ってくる日を待っている。
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good morning in Tokyo
http://cocoschka.exblog.jp/7677202/
2008-11-21T13:42:18+09:00
2008-11-21T13:43:08+09:00
2008-11-21T13:43:08+09:00
CoCoschKa
ココシュカのふうらい
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神器入手
http://cocoschka.exblog.jp/7661948/
2008-11-15T21:30:00+09:00
2008-11-16T01:24:10+09:00
2008-11-15T21:31:40+09:00
CoCoschKa
ココシュカのあれこれ
(前項続き)
さぁ写真を撮るぞとなったところで必要となるものにカメラがあった。
普通のデジカメと本格的な一眼レフとでは撮れる写真も、まったく違う。
だからとりあえず一眼レフのことばかりしばらく考えていた。
すると電気屋にいったときに今、木村拓也がCMをしているNIKONのD700が置いてあった。
圧倒的にほかのデジタル一眼とは質感も存在感も違う。さすがのフラッグシップモデルの
風格である。
「ヤバイ・・・・欲しい。」
と思ったけどオープン価格でレンズ付で40万以上で全く手が出ず、すぐに候補から外れた。
とはいえ、いっぺん手に持って感動してしまった後なのでなかなか他のものがしっくりこない。
とりあえず何にも決めずに家に帰った。
家に帰って、母親とテレビを見ていたら先のD700のCMがやっていたので
ため息のように「俺、これ欲しいねんなぁ・・・」とこぼしてそれっきりその事は忘れた。
次の日、そんなことはすっかり忘れて会社で仕事をしていると不意に親父から着信があった。
なんやろ?と思って電話をとると
「お前なんやデジカメ欲しいんかい?」
とか言っている。
が、俺はカメラのことは忘れていたので、理解するのに時間がかかり少々、間をおいてから
「あぁ、デジカメ言うてもちっちゃいのちゃうで。でっかい数十万する一眼レフの話やで?」
と答えた。
だいたいなんで親父にそのことが伝わっているのかも謎やったのやけど、親父の返答
はもっと意外で
「だからどこが一番安いんかよう調べとけ。ほなな。ガチャ。」
と電話を切られてしまった。
もしかして買ってくれるつもりなんか?と思ったが、俺もこの歳になって親に
そんなもん買ってもらうわけにも行かんと思いひとまず脇に置いとくことにした。
次の日、そんなやりとりがあったこともまたすっかり忘れて仕事をしていると
また親父から不意に電話がかかってきた
「どこが一番やすいんか調べたんかい?」
「いいや。」と答えると
「ちゃんと調べとけよ、お父さんパンフレットもらってきたからな。ガチャ」
とまた切られた。
「え?パンフレット?」とおもって実家に帰ると、」間違いないたしかにD700の
パンフレットが家においてあった。
どうやら親父は本気である。
それにしても意味が分からなかったので理由をオカンに聞いてみた。
するとどうやら親父は、俺がこのあいだ会社で準MVPという賞を頂いた事
にえらく喜んでいたらしく、それでじゃないかということだった。
(ちなみに親父は俺に本の写真の話が来ていることは知らなかった。)
なんてことだ、親父。タイミングといい完全に神がかっている。
「しかし、俺はまだよう自分から買ってとは言えん・・・・・・」
そう思ってたら、親父が初めてカメラのことを口に出してから二週間ほどたった日曜の日
「おい、お前いつカメラ買いにいくんや?お父さん今日、しかないから今日行くぞ。」
と猛烈にプッシュされ、D700はその日に購入される事となった。
終始、俺は自分の口からは一言もねだらなかった(笑)
が、なぜだか分不相応なカメラはただいま俺の手元にある。
RPGで言えば、未熟な勇者にロトの剣が授けられた状態である。
状況も武器も半ば強引に近くそろって後は自分しかない。
カメラが俺を呼んでいる。
上の写真は記念すべき初撮影分
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一ヶ月ほど前の話
http://cocoschka.exblog.jp/7660404/
2008-11-15T09:39:00+09:00
2008-11-15T09:50:08+09:00
2008-11-15T09:40:32+09:00
CoCoschKa
ココシュカのあれこれ
最近、カメラや写真に関わることが増えたなぁと思っていると先日、知人から
「カメラについて聞きたいことがあるので連絡下さい。」というメールがあった。 はて?俺はカメラのことなぞなんにも知らないし、使っているデジカメも普通の
Lumixやし、何のことだろうか?」
と思いつつ連絡をとって足を運んだ。
すると別に話はなにもカメラの事ではなかったのである。
その知人の所というのは飲食店を経営しているのやけど、実は
こんどそこから本を出すことになったのでその本の写真を撮る
役目を担当しないかという話だった。
というのもプロのカメラマンを雇っても、その店は「変わったコンセプト」
でやっているので、そこの事を良く知っている人でないときっと「いい写真」
にはならないと思うからという理由だった。
たしかに俺ははそこのことを良く知っているのである。
というのもそこは昔、俺が受験生だったころ通っていた塾であり、今は塾と兼ねてその下で、
塾生が利用出来る食堂もやっている。
ここのご飯は本当においしくてオープンから二年。最近ではテレビでも取り上げ
られたりしているんやけど、今回は詳しい事は書かない。
とにもかくにもいきなりとんでもない話をふられたので俺は一瞬ちょっと困惑しつつ
も気づいたら「やるわ!やらせて下さい。」と言っていた。
求められているのはプロ並み+αである。
「そんなことが果して自分に出来るんだろうか?」
と感じつつも
「それが俺の役目だ。俺にしかできん!」
と勝手に強く思った。
それに加えて小さな頃から大事にしていること。
「縁あるものは拒まない。」というルールにいつもどおり準じることにしたのである。
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フダラクの火
http://cocoschka.exblog.jp/7402617/
2008-08-17T00:54:00+09:00
2008-08-17T03:27:07+09:00
2008-08-17T00:55:27+09:00
CoCoschKa
ココシュカのふうらい
前にも書いたけど自分のブランドを作ろうとした時にブランド名の候補にメメント・モリ
(死を想え)というのがあったけど辞めた。 まぁ自分でそのつもりはなくても一般的に死というのはネガティブな意味に捉えられるから
なんか雰囲気暗そうに思われるのは心外だったのでボツになったのである。
昔からたくさん動物を飼っていて、よく生き物の死も目にしてきたので昔から死について
考えることが多かった。
小さい時は死ぬほど泣いてたりしていたけれども高校生ぐらいからちょっと変わった。
何がきっかけかは分からないが悲しむというのは違うと思い始めた。
そんな事言っても悲しいと感じることもあるが、ただそれだけというのは違うだろう
と考えはじめたのである。
受験生時代に自分が幼稚園の時から飼っていた犬が死んだ時まったく悲しくなかったので
しらない間に自分の感覚が変わっていたのに気づいた。
死というものは別にネガティブなものじゃない。
そのころから今に至るまで自分ではそう考えている。
だいたいが日本の葬式は暗い。
昔から自分が死んだらこんな葬式で見送られるのは御免だなと思っている。
悪友がバカな思い出話でもしながら遺影の前で悪態ついているぐらいが理想だ。
ちょっと違うかもしれないがティム・バートンの「ビッグフィッシュ」みたいのもいい。
「死」というのが暗いイメージでしか語られないのは嫌だ。
とにかく昔からそう思っていた。
今回、和歌山に旅行に行って補陀落(フダラク)送りの花火というのを勝浦で見た。
フダラクというのは海のかなたに浄土があって海からそこに至ることが出来るという土俗的
な観音信仰の一種であり、フダラク送りとは死者の魂を海からそこに返す儀式である。
昔、諸星大二郎の漫画かなんかで見た覚えがあるが、大して印象にも残っておらず
「なんだそれ?」というぐらいの感覚しかはじめは持っていなかった。
勝浦の花火大会は非常に花火としてはこじんまりしていて、沖合い100メートルほど
の船からそれが打ち上げられる。
人手もそう多くないから俺は浜辺の人がいないところで寝っころがって観ていたら
まるで自分のためだけにあがっている様だった。
最初の方は普通の花火大会と同じで、地元の企業からの協賛の花火が打ちあがる。
そして、その後に始まるのがフダラク送りの花火であった。
一家族が亡くなった個人に向けてメッセージを添え、魂を海に送るための花火を
うちあげるという本当にプライベートな花火である。
はじめはなんとなく観ていたのだけれども、気づけば何かが心に触れて涙が出ていた。
はかないが美しく、潔い。そこに暗さも湿った感情も何もなく、破裂音とともに色とりどりの
火花が散り散りになっていく。
今まで考えた事もなかったが、無数に飛び散って分かれていくあの火花自体が死者の魂
なんだと思った。
その魂を海に還す。
こういう事なんだ。
自分が思っていたものはこういう事なんだと思った。
死ぬ瞬間に破裂して、後に美しく飛び散る魂の火が絵を書いて消える。
ちょっと前に父親がなくなった友達が言っていたのだが、葬儀屋のコピーに
「人が死ぬのは死なないとあげられないプレゼントを遺族に贈るためなのです。」
と書いてあったそうだ。
それを聞いたときは感心したが、本当にそういうものであると俺は思っている。
生きている間に天に向かって昇りつめ、死ぬ瞬間に破裂して花を残し、消えていく。
死は花を残すために死ぬのである。
個人的にはそう考えていたい。
花火を観ている時、一緒に花火を観ていた大学の合気道部の同期が
「ウチらの代の誰かが死んだらここからみんなで花火で見送ろうね。」
と言っていて、一瞬縁起でも無いと思ったが、すぐに思い直して
それも悪くないと思った。
それはそれで粋な決め事で、なかなかいい繋がりじゃないかと思ったのである。
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カメラと写真と
http://cocoschka.exblog.jp/7397292/
2008-08-15T01:57:00+09:00
2008-08-15T03:01:37+09:00
2008-08-15T01:57:39+09:00
CoCoschKa
ココシュカのふうらい
大学の時の合気道部の皆と和歌山へ旅行に行った。 久しぶりに会う連中と四泊五日の旅。
合気道開祖生誕の地、田辺をスタートし、那智も行ったし、白浜も行ったし色々行った。
神社も三社いって熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社
と順にめぐった。
本当は熊野古道を歩きたいと個人的には思っていたけど時間がなかったので
それはまた後日にしたい。
旅行のことは色々いったので色々あるけれど今回はそれは置いておいて
別の話を書く。
今回、俺は訳あってカメラ係として写真ばっかり撮っていた。それも人のカメラで。
というのも初日、熊野本宮大社を参った直後、原因不明に俺のカメラがピクり
とも動かなくなってしまった。
というわけで今回、自分カメラでの写真は十枚ほどしか撮れていない。
自分のカメラがなくなってしまった俺はいつのまにか人のカメラを借りて
勝手に写真係になっていた。
それをやっていて気づいたことがあった。
自分のカメラというものは自分のだからはっきり言ってしまえばおれの性格上、究極
どうでもよかったりするのだけども人のカメラというのは人の思い出になるので自然と
心構えがかわる。
気づけば知らず知らずのうちに一瞬のよい瞬間を逃さないよう、センサーを張り巡らして
いる自分がいた。
撮ろうとしている人間の一番輝いている瞬間を逃さぬよう。
本人も俺も知らない一瞬を捉えられるよう、カメラ越しに見つめる。
それがなんとも心地いい。
うまく言葉に出来ないが、そうやって写真を撮る時は自分が消える。
普段、抱えている自分が自分であるがゆえの雑味が消えて眼差しのみになる。
昔、矢口高雄のマタギ列伝という漫画に、周囲の森や川と一体になる殺気を消す
「木化け」という技が出てきたが、こんな感じなのだろうかとふと思う。
おかしなもので対象を見つめる眼差のみになったとき、初めて
「俺はこいつらをこんな想いをもって見つめてたのか・・・・」
と初めて気づいて驚いた。
どうやら本当の眼差は日常の瑣末な感覚を捨て去った時に始めて出てくるものであるみたいだ。
少し前、恩師が亡くなった時「もっと見つめていたかったです。」
と書いたことがあったけれども、それはきっとこういうことなんだと思った。
だからあの時「写真を撮らせてもらいたかった。」と思ったのだと合点がいった。
こんな事は自分のカメラが壊れてしまわなければ気づくことは無かっただろうと思う。
亡き恩師に最後に導かれた気がした。
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辻占
http://cocoschka.exblog.jp/7359841/
2008-08-02T00:18:00+09:00
2008-08-02T00:57:58+09:00
2008-08-02T00:19:00+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
モットーにしていることがあって
大事な事ほど自分では決めない。 皆さんどうされているのかは知らないが自分ではどうにもこうにも迷ってしまう
事ということがある。
右にいくべきか左が良いか?
分からない時は人に相談して決めるのだろうか?
俺の場合、人に相談することもあるが別にそれで決める訳でもない。
自分で決めてもらうでもなく人に決めてもらうでもない。
じゃあどうするのかというとそんなときは「辻占」をやる。
辻占とかいてツジウラと読む。
聞きなれない言葉だが、俺は受験生のときセンター試験の国語の問題でこのことを
扱った文章があったのでそれで知った。
ツジウラとは何か?
それは特別な道具や、公式、またはその道の専門家に頼ることなく行う占いである。
やり方は自分の中の問いを自分以上の何者かに投げかけて、二つの道がクロス
する人通りのある四辻に立つ。
自分を世間という海に投げ込んで、感覚だけを鋭くする。
そしてそこで偶然聞こえてくる人々の会話の声などからヒントを得るという簡単なものだ。
俺は何かに迷うといつもこれをする。
といっても実際に四辻に立つわけではない。
大事なことは投げる事だ。
自分の頭で考えても分からないことは、自分のキャパシティで無理に答えを
出そうとしないで天に投げる。
それでもってそのあとは「なんとなく」の感覚にお任せする。
なんとなく左、なんとなく右、なんとなくあの場所へ、なんとなくあいつへ
これを続けているとある時、急に答えがでる。
わかりやすいサインがあることもあれば、いつのまにかなんとなく自分が
その気になっていることもある。
「決めた。」のではなく気がつけばもう「決まっている。」
こうして出た答えはいつも不思議と想定外の選択になるのが奇妙だし、面白い所でもある。
いつもいつも大事な事はそうやって決めてきた。
大学の進路しかり、就職しかり、すべてにおいてそうやってきた。
だからその試験問題を読んだときは不思議と嬉しかったので今でも忘れていない。
「自分が決めた道を行く。」
まぁそれはそれでかっこいいのかもしれないがどうも性格的に向かないみたいである。
俺が人生において大事にしたいのは「風を感じる事」である。
表面的な意識では感じられていない自分の深いところに吹く風をを感じるため
ひたすら問いかける。
この風を感じて、それに乗ったときは本当にスッキリする。
謎がひとつ解けた感覚がする。
俺に限った話じゃないが人生にはいつも謎がつきまとう。
誰もしらないその謎の答えを解く鍵を
いつも辻占に託している。
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昔の事、一連の事②
http://cocoschka.exblog.jp/7336192/
2008-07-25T02:44:00+09:00
2008-07-25T03:50:15+09:00
2008-07-25T02:45:06+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
大学生のころは起業ブームで学校に行けばやたら起業、起業という言葉が聞こえた。
経営学部だったのでそれはなおのことだった。 まだライブドアなんかが破綻していない時でIT系企業を立ち上げたいなんてやつの声
も毎日のように耳に入った。
「勝ち組」とか「負け組」とか
べつにそれに対してどうというのではなくて、俺は単にあまのじゃくなので自分は口が裂
けてもITで起業などとは言わない。
言いたくないとクソの役にも立たない決意を静かに立てていた。
あんまりその時の気持ちは覚えていないが、カタカナ文字がたくさん書いてある
ビジネス系の用語を使って会話をするのがかっこいいというか時代にノッてる
みたいな空気が大学に流れていたので多分、単純に嫌だったのだと思う。
何かこの空気に逆らってやろうと思って思いついたのがITで起業、ではなく
「鬼ごっこで起業」だった。
ITの「逆」で選んだ道が「鬼ごっこ」だったというのが今の自分からすれば
無意識に自分の中の答えに気づいていたな。
と今にしたら思うけれども、その時の感覚としては「頭が悪そう」「かっこ悪い」
「単純に鬼ごっこがしたい」「勝ちも負けもない」からという理由の悪ノリで思いついた。
あまのじゃくなのでもうすでに市民権を得ているものや、市民権を得やすいで
あろう要素は避けたかったのである。
この悪ノリに普段から仲の良い連中が結構、真剣になって食いついて来て
取りあえず週二回必ず鬼ごっこをすることから初めて、ゆくゆくは公式リーグの
立ち上げ、そしてアシックスに提案をしにいってオニツカタイガーのラインナップ
から公式シューズを出してもらおう等など数々のくだらない活動案が生まれた。
この企画はプロジェクト02という名前を付けられて一時的に盛がりを見せた。
まぁ結論から言うとこの企画は、各々の部活が忙しい、バイトが忙しい等の理由で
鬼ごっこの定期的な開催以上は全然前に進まなかった。
べつにこの話はそれでいい。
今回、ここで書きたかったのは、そのプロジェクト02で鬼ごっこをやっていてはっきり
したいくつかの事である。
鬼ごっこを何度かするようになると、一緒にやっている連中から「肩こりが治った。」等
の声が多く聞こえてくるようになったのである。
あと、自分でわかったのが、俺は鬼ごっこの「あの感覚」を求めていたからこそ鬼ごっこ
をやりたかったのだという事。
「あの感覚」とはあの感覚である。
つまり、普通のスポーツではまず必要とされない「潜んでいる鬼の気配を感じ取る感覚」
「全身に神経を張り巡らして己の気配を殺す感覚」の二つことを指す。
思い返せば小学生の時からこの感覚がほしくて、普通のスポーツで遊ぶことに物足らなさ
を感じることが多かった。
普通のスポーツでもないことはないがその機会は激減する。
でも鬼ごっこという遊びはそこだけに特化しているので、飢えている俺には大学生にして
死ぬほど楽しかったし、何かが満たされていく感覚を感じていた。
さて、当時、鬼ごっこを始めてすぐに考え始めたことがあった。
鬼ごっこに要求される「敵の気配を感じ取る」「自分の気配を殺す」「逃げる」「捕捉」
という一連の活動は野蛮なほどに動物的、本能的である。
よく考えれば、狐等の肉食動物も幼年期に似た遊びを行う。
つまり鬼ごっこ」という遊びは多分に「文化以前」の要素をはらんでいる。
言い換えれば生き物の根本に関わっているのではないか?
そしてこのことは「肩こりが治る」ことにも関係しているのではないか?
このときに自分の中では一般のスポーツと鬼ごっこの間には線引きがなされ
鬼ごっこの「あの感覚」の正体とその効果を探る研究がはじまったのである。
その研究とは一言で言うと本能もしくは「旧い脳の研究」だった。
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昔の事、一連の事①
http://cocoschka.exblog.jp/7330386/
2008-07-23T09:31:00+09:00
2008-07-23T10:11:33+09:00
2008-07-23T09:32:11+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
その昔の話。
マッサージ師という仕事をしていた。 店舗でやっていた時もあるし、客がついてからは勝手に名刺を作って
やっていたこともあった。
そのときにやたらと気になっていたことは客に鬱とかプチ鬱みたいな人がやたらと
多かったこと。
たまたま自分の回りにそうなのかと思っていたが、どうやらそうではない。
一度、一緒に住んでいたヤツが軽い症状になって、出来る事もないのでマッサージ
をしたら治ってしまった。
これは今は理屈で説明出来るが、当時としては新鮮な事で重要なヒントでもなった。
全然、説明的ではないけれど言葉にするとどうやら鬱というヤツは身体という自然
意識に乖離が生じてバランスがとれなくなっていると起こるらしいという事だった。
こいつを他の言葉で言うと、脳という意識と身体という無意識の乖離とか結局、今の俺の語彙
ではすぐに簡単な言葉でまとめることが出来ない。残念だ。
とにかくマッサージという行為で距離が空いてしまった二つの感覚の仲介を果たす。
物言えぬ身体の感覚を意識のレベルまでひっぱりあげて感じてもらう。
結果バランスがとれる→鬱という状態ではなくなる。
という流れがあることがわかった。
これが今から書こうとしていることの一番の根っこであった。
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アウフヘーベン
http://cocoschka.exblog.jp/7144088/
2008-05-25T01:38:00+09:00
2008-05-25T03:06:07+09:00
2008-05-25T01:29:27+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
休日は必ず山に行く。
今日は一日雨が降っていた、でも関係無い。
いつものように自分をチューニングしに山へ。 普段、街へでていると知らない間に失われている感覚があるのだ。
いや、ちゃんと言うと、その感覚を持って街に勤めに出ることはなんらプラスにならない。
だからスイッチを切っていく。
でもそのスイッチは「自分」という人間の本質には深く関わっているからそれが
さび付かないように。
それをいつも思う。
俺がどうして山が好きなのかというと「複雑」だからである。
日本の自然について特に言うことができるが非常に複雑で繊細である。
俺はこの感覚を忘れたくはないのである。
月曜日に出勤するといつも思うのは街は単純である。
完全に人間が作り出した空間はそれがもともと「図面」だったことが
よく分かる。
定規の直線、コンパスの円、それで構成された空間はそれはそれで美しいし、
嫌いではない。
でも、それだけで囲まれた空間は何か嘘くさく、現実感が俺にはない。
世に言う「現実は厳しい。」というコメントの指す現実の舞台の多くはこの図面の空間
が舞台になっていることはなにか少し皮肉めいたものを感じる。
俺はいつもこの「現実」を広く持ちたいと考える。
なにが現実か、そうでないかはその人の頭の中にある世界が深く関わる。
魚とははじめから切り身だと思っていた人を知っているが、料理もしないその人
にとっては魚を捕って、魚を捌いてという行程のどこも自分に近いとこがないから
その人にとってはそれは現実ではないのだ。
世界は人間が作った都市だけではないから世界を正しく知ろうとするなら
都市の理、以外にも田舎、自然の理を自分の中に持たないと何かを間違う。
そう信じている。
自分の中に草花や小動物を住まわせる。
結びつきを強くするために、触れたり観察したり、名前を調べて覚えたりする。
そうすれば俺にとってそのものたちは「現実」になる。
自分を構成する一員になり、大事な時に顔を出す。
昔から孔子の論語を読んでいてあんまり意味がわからないが気になっていた一節に
「詩経を覚えることの得の一つに木や草花、鳥の名前を覚えられる。」
というものがあるが、最近にになって孔子は都市に住む人たちに
自然を現実として自分の中にもつ重要性を説いているのではなかと思うようになった。
最近、昔からよく遊んでいた河原がダムになって消えることが行政によって決定した。
その川は山の上を採石のためにけずっているために水量もすくなく水源として意味はない。
また俺が住んでいる一帯が水に困っている訳ではないのであきらかに建設会社に仕事を
与えるために行うことは明確である。
こんな乱暴な事は自然を現実として感覚として持っていれば、出来る事ではない。
都市の論理は経済である。
経済という単純な数字の論理だけを現実のルールとして物事を測ると大きな間違い
を犯すことがある。
人工の理は単純ゆえに単独では底が浅い。
だから時に行き詰まる。共産主義しかり、資本主義ももう危ういのではないやろうか?
自然の理は繊細かつ複雑で奧が深くまた時に恐ろしくもある。
何億年もの知恵の集大成だがこれは人間がコントロールできるといった
代物ではない。
コントロールできないからこそ、人は人で別個にルールを作った。
きっといままではそれでなんとかやって来た。
でももうそろそろ次が必要なのではないか。
とてつもなく難解だが、都市と自然の理の両方をもって成り立たせる
次のもの。
それをひたすらに探している。
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巨星の肖像
http://cocoschka.exblog.jp/7038967/
2008-04-24T01:29:00+09:00
2008-04-24T01:55:21+09:00
2008-04-24T01:29:18+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
大学時代の恩師が亡くなった。 合気道部の顧問だった人だが、まさかあの人がという人だったので
相当驚いてしまった。
合気道八段の七十代とは思えない肉体と、法学と機械工学の博士というとてつもない
頭脳、そして大物政治家並のルックス、各界への人脈。
胴着に袴に下駄という出で立ちでシーマを運転する様は圧巻であったし、比類
のないものであった。
もう今後ああ言う人はこの国に現れないであろうと思う。
頭に浮かんだのは「巨星墜つ」という言葉であった。
その先生に出会ったことで自分の中にあった「人間というのはここ~ここまで」
という幅が一気に広がった。希有な方であった。
大学生活で間違いなく最もお世話になった先生であったので、その話を
後輩から聞いた時は悲しいなどというよりはなんと表現したらいいかわからない
ポッカリとした気分になったのやけど、その次に頭に浮かんだことは
「写真を撮らせてもらいたかったな。」
とふと思った。
普段、人はこのブログの写真などを褒めてくれたりはするけれども
自分にとって写真が重要だと思ったことはない。
だから意外やったのやけど、もう二度とは現れない人
の事を思うとちゃんと写真を撮らせてほしかったと自然に思い浮かんだ。
これがどういう事かはわからない、記録としてデータとして残したいというのとは違うと思う。
きっとその人を「撮る」ためにその人を「見つめる」ということが自分にとって何か
なのだろう、初めて気づいた感覚だった。
自分にそういう何かがあったとは知らなかった。
今の今まで
もっとあの人をちゃんと見たかった。
もうかなう事はないけれど写真を撮らせて頂きたかったです。先生。
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ツケを払う
http://cocoschka.exblog.jp/7032903/
2008-04-22T06:24:00+09:00
2008-04-22T07:53:34+09:00
2008-04-22T06:24:27+09:00
CoCoschKa
ココシュカのつぶやき
風邪で会社を休んだ。
社会人になってからというものちょくちょく身体を壊す。
周期も決まっていて大体二ヶ月に一度から一ヶ月半に一度の割合。
原因はわかっていて、都会で働くという行為のせいである。
別に仕事は嫌いじゃないが、毎日、空気も悪くて汚いところにずっといると
身体に負荷が蓄積されていく。
というか「人工」に囲まれていると「自然」である身体には負担が大きい。
俺の卒論の内容やけど。
これは誰でも同じなのやけど、俺の場合はマッサージ師なので普通の人よりも
この身体の変化に敏感である。
「ツケが溜まって来ているな。」というのが分かる。
大体少しづつ筋肉が固まって来て、肩がこり始める。
そしてその後、休日を迎えて身体を緩めるとそいつが風邪という形で
現れてしまう。
よく身体を壊さない人がいるけれども、これには大きくわけて2タイプあって
片方は身体という自然に負荷をかけずに生活出来ている人、ともう一方は
負荷に鈍感な人である。
前者は本質的な健康体やけど、後者の場合は一回に払うツケが大きくなる。
友達は「俺、全然身体疲れへん。無敵かも。」と思いながらバリバリ仕事をしていたら
髄膜炎にかかって命が危なくなっていた。
自然である身体という無意識と意識の乖離が大きくなってしまうとそういう事になってしまう。
とにもかくにも俺は風邪になってしまった。
分割払いで軽いとはいえ、カラダはつらい。
せっかくだからもうちょっと深く考えてみると、今回は春になったということで
いつものよりも「緩み」が深い。
冬は寒さのせいで身体が締まっているが、冬の間固まっていた部分も
春になったら緩む。
冬の間は首から上がつらくなることはなかったが、今回はそこがメインらしく
ひどく頭が重い。
風邪とはいえ、寝てるばかりでも限界があるので、身体の負荷を減らすため
山に行って「調律」する。
家からバイクで五分のところに山があってホントに良かった。
とりあえず日光にあたりながら草むらで横になる。
頭が重いせいもあり、いろんなことがどうでも良くなる
いや、じつは週末の締め切りが気になってしょうがないのやけど、
そういうこともどうでもよくならないと「負荷」はなくならない。
難しいが成り立たせる。
しかし晴れててよかった。
ハルゼミの抜け殻と池の中のオタマジャクシの群れを見つけたときは
自分が子供のまま大人になっていることをはっきり自覚した。
このままの感覚を維持していきたいと思う。
もう頭イタイからこのへんで
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新しい財布
http://cocoschka.exblog.jp/7015711/
2008-04-17T04:32:00+09:00
2008-04-17T04:45:01+09:00
2008-04-17T04:32:19+09:00
CoCoschKa
ココシュカのこども(作品)
新しい財布を作った。
といってももう二週間ほど経ってしまうけれど。
今まで使っていたヤツ(一番上)は長財布のくせに作っていた時に一万円を持っていなかったがために、一万円が横に入らないという悲しい財布であった。
いつか作り替えるつもりで、糸が摩耗していっても何のフォローもしないでいたらこのあいだ
みごとにバラバラになり「素材」に戻った。
その「素材」はきちんと保存しているのでそのウチに何かの材料に使わせてもらう。
いっぺん帽子を自分で作りたいと思っているのでつぎの人生は帽子で生きてもらおう
かと思っている。
何はともあれ新しい財布はちゃんと企画を考え直してつくっているので一万円札が
横にはいるようになった(笑)
もうこれで社会人として恥ずかしくない。
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