2008年 11月 30日
過去になること |
書くという行為を欠かせない。
外出するときは必ずノートとペンを持っている。
度々書いているけど、日記ももう十年以上続けているし、
このブログも初めてもうすぐ五年が経とうとしている。
最近になって気づいたのやけど、書くということは俺にとってトイレ
に似ているみたいである。
何か頭のなかにうじゃうじゃとあることを人に言うような事でないことは
個人的なノートに、整理して人に伝える練習をしていたい事はブログに
書くとスッキリする。
そしてわすれる(笑)
書くことが重要なので、あまり見返すという事をいままでしなかったのやけど
先日、部屋を片付けていて昔からの日記のタバをたまたま見返すと面白かった。
なにが面白いのかというとそこに書いてあることが全部、過去だからである。
もう字自体が今とちがうし、文章の展開も今と違う。
痛手を負った失恋の話とか、その時、ニッチもサッチもいかない悩みごとの数々
がもろとも今の俺からみたら他人事である。
もちろんその時のことは覚えている。
その時にもう今後、十年二十年その状態から抜けられないような気持ちで書いて
いたことも覚えているけれども実際、今はそうじゃない。
今はそんなことで毛ほども悩んでいない。
大事な事はここであろうかと思う。
書いて残してきて始めてリアルに実感出来ることだが、人は変わる。
細胞なら半年で入れ替わると言われているが、同じように「自分」という精神
の形も刻々と変化している。
だからほんの半年前に一日中、頭の中をめぐって気持ちを重苦しいもの
にしていたことも見事にいまは他人事である。
こういう事に明確に気づいて、日常に活かし始めたのは社会人になってから
であった。
営業の仕事をしていたので、数字やスケジュールのことでどうしようもなく
追い詰められることが日常茶飯事であった。
上司にもこっぴどく怒られることも同様であった。
そんな時は営業中に喫茶店に入って、自分の中にある悩みをとにかく書きなぐった、
多い時はノートに4ページぐらい書いていた。
そしてそういう時、今取り組むべき目の前のことから逃げ出したくて仕方がないの
やけど、それでもやらねばならない時、おまじないのように唱えていた言葉がある。
「全部、過去になる。」
どんな困難や苦難なことも、しかるべき事をやって煮え湯を飲めば、喉元を過ぎて
過去になってしまう、
いけないのは煮え湯を飲まないことである。
飲めば勝とうが負けようが「次」がくる。
飲まなければ過去は未来を侵食して「次」はやってこない。
話を戻すと、書くということは覚悟を決めるため、そこまでいかなくても
日常生活において自分がやるべきこと、やらないで良いこと、捨てるべきこと
それを明確にする作業である。
だから毎日続ける。
続けなければ何かがブレる。
クオリティの問題ではない。俺は書くことを優先している。
だからもう日記のほうは文脈もくそもない、文章になっていない。
でもそれはこのブログも実は然り。
完成していなくても、未熟ではあっても人に見せる形にする、
そんなブログですここは。
by CoCoschKa
| 2008-11-30 14:27
| ココシュカのつぶやき