2008年 11月 30日
夢のような話 |
パソコンを使いはじめたのはちょうど10年前、友達のPC
に詳しいやつに教えてもらったのがきっかけで使い始めた。
その時に使っていたパソコンはPC98のHDが1.2G、メモリ16Mという
代物だった。
その時にその友達はHDが2Gのやつを使っていて「お前のやついいなぁ」
という話からHDの話になった。
俺:「将来、もしかしたら100GのHDなんかも出来てくるんやろうか?」
そいつ:「いや、俺もそうならないかな?と思って計算したことがあるんやけど
今のHDを作ってる理論やったらそれぐらいの容量のやつ作るためには
俺らの中学校の校庭ぐらいの面積が必要になってくるんやわ~
まぁ何十年か後にはそういうことももしかしたらあるかも。
でも夢みたいな話やよな~。」
十数年後の結果はみてのとおりである。
今は100Gとかの話ではない、1テラでも数万で手に入る。
俺が持ってたPCのHDの容量なんてフラッシュメモリにも抜かれる始末である。
でも今、この状況を十年前に戻って、その道の専門家の人に伝えたら
「君、バカいっちゃいかんよ(笑)寝言は寝て言いなさい。」
といわれるに決まっているのである。
結局、何がいいたいのかと言うとこれから先のことは本当にわからないな
ということである。
良く「十年後を見据えて行動しなさい。」なんていわれるが今から十年後は
十年前から今までの変化の比ではないように思える。
それはどんな人でも肌感覚で感じていると思う。
そんな中、疑ったほうがいいのは当然と常識ではないかと思っている。
十年前の「夢」はすでに数年後に「常識」になっていた。
別にそこにびっくりし続けている人はいないし、ちょっと驚いて
「まぁこんなもんかな?」
というの普通であると思う。
しかし考えれば考えるほどこの変化の「差」はとてつもないし、すこし前から
すれば「予想外」である。
現在からは予想外のことの塊で構成される将来の事はもう俺にはわからない
から実際、半ばさじを投げている。
多分、神様もしらないんじゃないかと思っている。
そんなことををずっと考えて来ていたら興味の対象が古い物、昔から変化の無いもの
になっていった。
自然、人の身体等、哲学や宗教なら時代の淘汰をくぐりぬけた古い智慧
そういうものの教えを得て微力ながらも乗り切らなしゃあない。
ずっとそう思っている。
by CoCoschKa
| 2008-11-30 12:56