2005年 12月 08日
光に誘われ雪野に歩く |
帰る。
13時間もかけて飛行機で日本に向かって飛ぶ。
俺の席は窓際、外が見えればどんなに何もなくても飽きない俺は
まったく退屈はしなかったが、完全にエコノミークラス症候群になってしまった。
まぁそれはいい、だいぶ治ったし。
今回たまたまイタリアに連れ出されることになったが、実はまとまった時間
を海外ですごすことは自分で物事を考えるようになって以来は今回が初めてやった。
(今年はロシアにも行ったがあまり、国自体を見ることはできなかった)
元来、風来坊根性があるため自分の魂に火がつかないように意識的にセーブをかけて
決して世界一周などしたくなったしないよう能動的には海外に目を向けないようにしていた
のである。
スイッチが入ってしまったらもう俺の場合旅行ではすまされない・・・・そんな気がして
怖かったのである。
今でも覚えているが、中一の時のクラスの文集の将来の夢の欄に
「世界一周、のたれ死にしてたらお線香でもあげてください。」
とたしかに書いた。
こんな早くからもってて根の深い願望に火がついたらそれはもう・・・・
だからあんまり考えないようにしていた。
俺はどうやらいまだ見聞きしていないものを知ろうとする欲求が人一倍強いのである。
よい事かもしれないが困った事だ・・・・・
帰りの飛行機から夕暮れ時の景色を見ていると雪山が延々と連なる山脈のほんの谷間
にわずか10ほどの光の群れが見えた。
見渡しても近くにほかの光はない。
「あんなところでどんな人がどんな暮らしをしているのだろうか?」
それを思った瞬間、何かが回り始めてしまった。
俺の実家の前には大きなマンションがあるが、そこに住んでいる人の大半は
口を聞いたこともない知らない人である。
俺が知っている人の名前を片っ端から並べてもおそらく500人には満たない。
俺の携帯に入っている人はおそらく百数十人。
自分の人生になんらかの形でかかわってると思える人間はこれからを考えても
満員電車の一車両ぐらいやろうか・・・・・
夜にたくさんの家の光を見るといつもこのことが脳裏をよぎるのだが、
雪山が連なる山あいの小さな光を見たときもこのことが頭に浮かんだ。
しかし、このときはもうひとつ別のことも思った。
「あの小さな光の下に居る人に逢ったらどうなる?
何かを共有したらどうなる?」
本来、絶対に逢うことのない人に逢えたらそれはもうそれ自体が奇跡的なの
ではないやろうか?
そしたら自分はどうなってしまうのやろうか?
自分の人生の意味合いが全然変わってしまうのではないか?
そんな事がグルグル頭を回りだす。
「あそこにいつかは・・・・」
それが自分の中ではもう決まってしまったことになってしまったようだ。
またいつかきっと・・・
by CoCoschKa
| 2005-12-08 22:18
| ココシュカのふうらい