2005年 11月 05日
語りかける太陽の塔 |
昨日おとついと益子の恒例の陶器市に行ってきた。
予定はとくに立てていなかったのやけど、なりゆき
でお知り合いの陶芸家族二組のホームパーティー
に招かれることに。
こういうのがあるからふらふら予定を立てずに行動するのは
やめられない。
色々、おもしろい話を聞かせてもらったりしていたのやけど、
なんとなく流れで岡本太郎の話に・・・・
ちなみに言っておくと俺は岡本太郎がかなり好きである。
作品が好きとかではないのやけど生き方や、人間自体に相当
関心があり、生き方そのものが芸術家だった数少ない人物だった
というのが俺の岡本太郎のイメージである。
でもそんな事を思い始める前から俺にとっては岡本太郎は相当
身近なとこにいた。
俺の地元の実家の玄関から太陽の塔が見ることが出来た。
万博公園自体が庭みたいなもので、太陽の塔は常に風景の一部だった。
だから物心ついた時から太陽の塔はあるのが当たり前のモニュメント
やったのだ。
そして、太陽の塔についてはいまだによくわからない不思議な思い出が
ある。
太陽の塔の前あたりには国道が走っているのやが、小さな時車でそこ
を通るたびに「あれは上がお母さんで下がお父さんの顔なんだよ。」
おじさんが耳元で語りかけてくるのである。
だから俺はそれを当然の事として成長し、最近母親にその話し
をすると初めて聞いたと言って関心していた
俺は「なんでしらんねん!?常識やろ。」
と思ったのやけど、たしかにおじさん以外から誰からも聞いた事はない
というかそもそもおじさんって誰なのだ??
至極、当然のこととして受け入れてきて、忘れていたけどウチにおじさん
は居ない。
母親と父親、二人の兄貴それが家族全員である。
よって耳元で語りかけるおじさんの存在は無いのである。
でもたしかに前を通りがかるたびに誰かが俺に語りかけてきていた。
最近までその不思議さに気付かなかったが、俺の不思議な思い出である。
この話を陶芸家のシカマルさんに言うと
「それはきっと岡本太郎の念が語りかけてたんだよ。
物を作る人間は、ましてやあんな巨大なモニュメントには
きっともの凄いエネルギーを注ぎ込んだんだろうからね。」
たしかにそう考えると何かが腑におちる感じがするし、そしてまた
ロマンチックでもある。
俺もものを作る人間としては、人に語りかける物を作りたいし、
それが出来ると信じたい。
それにしてもそうだとすれば「上がお母さんの顔で下がお父さんの顔」
というのが、岡本太郎が太陽の塔に込めたメッセージなのではないやろうか?
お母さんの顔は太陽のように光り輝きながら遠くをやさしく見守り、
お父さんは派手さはなくとも力強く中腹を支える。
これは岡本太郎の理想の男女観、世界観ではないのやろうか?
俺はそれに興味がある。
はるかな思い出から新たな関心が生まれることもあるものだ。
予定はとくに立てていなかったのやけど、なりゆき
でお知り合いの陶芸家族二組のホームパーティー
に招かれることに。
こういうのがあるからふらふら予定を立てずに行動するのは
やめられない。
色々、おもしろい話を聞かせてもらったりしていたのやけど、
なんとなく流れで岡本太郎の話に・・・・
ちなみに言っておくと俺は岡本太郎がかなり好きである。
作品が好きとかではないのやけど生き方や、人間自体に相当
関心があり、生き方そのものが芸術家だった数少ない人物だった
というのが俺の岡本太郎のイメージである。
でもそんな事を思い始める前から俺にとっては岡本太郎は相当
身近なとこにいた。
俺の地元の実家の玄関から太陽の塔が見ることが出来た。
万博公園自体が庭みたいなもので、太陽の塔は常に風景の一部だった。
だから物心ついた時から太陽の塔はあるのが当たり前のモニュメント
やったのだ。
そして、太陽の塔についてはいまだによくわからない不思議な思い出が
ある。
太陽の塔の前あたりには国道が走っているのやが、小さな時車でそこ
を通るたびに「あれは上がお母さんで下がお父さんの顔なんだよ。」
おじさんが耳元で語りかけてくるのである。
だから俺はそれを当然の事として成長し、最近母親にその話し
をすると初めて聞いたと言って関心していた
俺は「なんでしらんねん!?常識やろ。」
と思ったのやけど、たしかにおじさん以外から誰からも聞いた事はない
というかそもそもおじさんって誰なのだ??
至極、当然のこととして受け入れてきて、忘れていたけどウチにおじさん
は居ない。
母親と父親、二人の兄貴それが家族全員である。
よって耳元で語りかけるおじさんの存在は無いのである。
でもたしかに前を通りがかるたびに誰かが俺に語りかけてきていた。
最近までその不思議さに気付かなかったが、俺の不思議な思い出である。
この話を陶芸家のシカマルさんに言うと
「それはきっと岡本太郎の念が語りかけてたんだよ。
物を作る人間は、ましてやあんな巨大なモニュメントには
きっともの凄いエネルギーを注ぎ込んだんだろうからね。」
たしかにそう考えると何かが腑におちる感じがするし、そしてまた
ロマンチックでもある。
俺もものを作る人間としては、人に語りかける物を作りたいし、
それが出来ると信じたい。
それにしてもそうだとすれば「上がお母さんの顔で下がお父さんの顔」
というのが、岡本太郎が太陽の塔に込めたメッセージなのではないやろうか?
お母さんの顔は太陽のように光り輝きながら遠くをやさしく見守り、
お父さんは派手さはなくとも力強く中腹を支える。
これは岡本太郎の理想の男女観、世界観ではないのやろうか?
俺はそれに興味がある。
はるかな思い出から新たな関心が生まれることもあるものだ。
by CoCoschKa
| 2005-11-05 14:56
| ココシュカのつぶやき